ちょっと期待値が高すぎた、「プレミア音楽朗読劇VOICARION XVII ~スプーンの盾~」

シアタークリエにて、生まれて初めて朗読劇を観た。

「プレミア音楽朗読劇VOICARION XVII ~スプーンの盾~」。上演回ごとにキャストが変わる企画で、キャスト表には私でも知っているくらい有名な声優さんばかり。朗読4名・演奏者5名が舞台に上がるのだけど、出演者総勢38名と、かなり豪華な企画だと思う。

 

※たぶんネタバレです。未見の方はご注意を

※たぶん長文です。

 

ナポレオン、彼を支えたフランスの外交官タレーラン、天才料理人カレーム。この3人は実在の人物で、(おそらく)創作の人物として盲目ながらカレームを支える弟子・マリーが加わり、4人の会話と独白で物語が進む。

タレーラン周辺諸国や国内貴族を呼んで料理外交を行った人。カレームは彼に料理の腕を見出され、やがて政治や陰謀に飲み込まれていく。

音楽朗読劇というのは初めて観たのだけれども、全編を通して朗読と音楽と、舞台美術も照明もすごく凝っていた。演奏者席と役者の間に薄いスクリーンがあって、それに影絵のように投影されるとか、夜のシーンで舞台上の燭台に火が灯るとか。

暖炉で火が燃えてるときに煙がちゃんと本物みたいに出るのにはびっくりした。あの煙と炎、あたたかな厨房の雰囲気がして良かったな。

スモークが出てきたり紙吹雪が降ってきたり、目まぐるしいくらいの演出で、お芝居というかショーを観にきたような感覚にもなった。


序盤、突然見知らぬ貴族に連行されて怯えるカレーム(豊永利行)と、恐れ知らずのマリー(井上喜久子)、面白がってるタレーラン平田広明)、カレームと同じくらいわけがわからずイライラする若きナポレオン(山口勝平)のやりとりが楽しい。この時はまだ良かったね…。

※私が観た回は上記のみなさんが出演

 

立場の違いを越えて、同じ場所を見つめているとお互いが感じているのだなとわかる場面が多い第一幕に対して、どんどん心がすれ違っていってしまう第二幕。

一幕ラストで、カレームとナポレオン・タレーランの間で決定的な対立が明らかになる。

ナポレオンはタレーランの忠告も聞かずに粛正しまくり、無謀な戦をしかけて破滅する。権力者が周りの忠告も聞かずに破滅していくの、お約束な展開だけど切ない。


終盤、タレーランがカレームが厨房で指揮官として手腕を発揮するところにかつてのナポレオンのある意味での純粋さを重ねるところがあり、ここが終盤最大の感動ポイントではあると思うんだけど、ちょっとそこが私は一番だめだった。

お腹を満たす温かな料理をつくることと、大勢の人の命を犠牲にする戦争が重ねられてしまうのに戸惑う。誰がどんな気持ちでやったって戦争は殺戮でしかないし、だからカレームはあんなに怒ってたんじゃないのか。正直、今の時代だからこそぎょっとしてしまった。


演者の4人は声優としてかなりキャリアのある錚々たる顔ぶれで、表現力がさすがに高く、とっても聞き応え、見応えがあった。音楽がかぶさっても声色や間やニュアンスがちゃんと聞き取れてお芝居が成立する技術、すごい。

お芝居を生で観るというのはやはり特別な高揚感がある。巻き戻しできないから一言も聞き漏らしたくない、すごく集中して観る。


音楽も演奏も良かった…と思うんだけど、セリフと重なってるとどうしても音楽はあまり聴けなくて残念。せっかくの生演奏なのに。音楽は劇伴というより、セリフと有機的に絡まっている感じかなと無意識に思っていた。

セリフもっとちゃんと聴きたいから音楽もうちょっと少なくても…もうちょっと違うアレンジでも….音量控えめでも…などなどと思うところもあり…大きい音でずっと鳴ってるほうが迫力があって良いという人もいるだろうし、これは好みの問題だとは思う。


私は初めて朗読劇というのを鑑賞したのでよくわかってないとこあるし、技術的にとても繊細で難しい、席によっても違うだろうというのは想像できるんだけど、でも正直、音楽朗読劇というならもうちょっと精緻な音響を期待していた。

スプーンを打ち鳴らすところで、マイクがノイズをずっと拾っているのが気になった。リハーサルは当然しているんだろうけど、あれはどうにもならなかったんだろうか。


映画だったら観たあとこれくらいの満足感なのまぁまぁあるので、ちょっと、私の期待値が高すぎたのかもしれない。良い社会勉強でした。


でも劇場で生で観るお芝居はやっぱり面白いなと思った。

舞台の上って不思議だ。そこにいるのは生身の役者さんなのに、全然違う人がいて、世界があって、幻だけど本物。幕が下りてまた幕が上がって、演者さんたちがお辞儀をしているとき、魔法がとけたようでいつも少し寂しい気持ちになる。


カーテンコールもなんか知らない世界で面白かった。どの世界にもファンとのお約束みたいなのがあるんだな。なんかお約束の合いの手とかあったんですが、対応できる瞬発力と知識がなかったのが悔やまれる。


劇とは全然関係ないんだけど、タレーランについてのWikipedia見てたら、メートル法を提案した人なんだな。そら有名人ですわ…。

映る水が美しいのはそういうことか「正欲」、水木とゲゲ郎で掛け算したい気持ちもわかる「鬼太郎誕生」

ここ最近観たもの。

 

正欲


原作未読、事前情報ほぼゼロで鑑賞。

夏月(新垣結衣)が寝そべるベッドが浸水していくシーンがなんか官能的で、ん?となり、佳道(磯村勇斗)への執着というかなんというか、の様子にん?となり、中盤くらいでようやく、彼らの背景が見えてくる。

この世界は自分のためには作られていない、自分はこの世界で普通にふるまえないとずっと感じている人の孤独さや傷と、自分の普通が揺るがされてしまう人の孤独や傷の対比がヒリヒリする。

夏月と佳道のベッド上でのシーン、おもしろく愛しく、とても美しくて、この映画の中で一番好き。このシーン観られただけでも劇場に行ってよかった。

役者さんのお芝居もみんな素晴らしかった。新垣結衣はこんなにかわいくない表情もできるのか、前半食べるシーンのごはんが全く美味しくなさそうで良かった。

水の描写も美しかった。

 

ただ、最近の公園の水道の蛇口って使いすぎ防止のために水圧を弱めているところが多いような気がするので、勝手にフラッと行ってあんなに魅力的な水の表情を撮るのは現実には難しいかもなとかどうでもいい邪念がよぎってしまった。

 

 

鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎


ノーマークでしたが評判が良さそうだったので鑑賞。

8割は埋まってました、小さいスクリーンだったのがもったいない。

ゲゲゲの鬼太郎、今まで一度もちゃんと観たことはないのですが、きちんと楽しめた。良作だな〜と思いました。

戦争の描写、上官がすごく嫌なやつ。それだけに、水木の変化は希望そのものだなと思う。

閉鎖的なイエとムラとうごめく恨みつらみと戦うゲゲ郎こと目玉のおやじ、飄々としててかっこよかった。

しかし、ムラ社会の中で生きざるを得なかった女の子と、そこに浸りきる前の男の子の結末の差、だいぶ残酷だな…


汽車の中で子どもが咳してても誰も煙草やめない、床はゴミいっぱいなの個人的には昭和ってこんな感じの時代だよね…という感じで良かった。

あの村にはモデルあるのかなぁ。あれだけ険しい山の中で、あれだけ田んぼがひらけているの、なんかちょっと違和感でした。でもそれが不気味でよいのかな。

ハイキングに行った#1 大山@神奈川県

友人と、神奈川県は大山にハイキングに行ってきた。
江戸時代には大山詣でが盛んで、富士山や大山へ続く道と記されている道標を生活圏内でちらほら見かけることもあり、
いつかは登ってみたいなぁと思っていた山。
詣でと言っても、鶴巻温泉も近いし、敬虔な信者が集うものというより
遠足旅行みたいな意味合いが強かったんじゃないかと勝手に思っているけど、どうなんだろうか。

現代人なので、小田急線とバス、ケーブルカーを乗り継いで、阿夫利神社に到着。
本殿まで階段を登って、本殿の裏からさらに石段を登って、頂上を目指す。

頂上までほぼ傾斜のきつい石段を登るので、結構きつかった。
初心者向きの山と聞いていたけれど、初心者向きとは…?って4回くらい思った。
途中で足が上がらなくて、手を使ってよじ登ったところもあった。
空気は冷たく、吐く息も白かったけれど、登っていると暑くなる。
フリースとシャツを途中で脱いで、リュックにしまった。

山を登る道すがら、寄贈(寄進と言った方が正確かしら)された石造物がちらほらあって、
一緒に行った友達はそれを見つけては足を止めて文字を解読していた。
代田村(世田谷)とか、橘樹村とか。
橘樹村、どこだろう聞いたことないねぇと話していたけれど、
現在の横浜・川崎あたりの地名らしい。

周りに高い山が無く、とにかく眺望が良い。
相模湾江ノ島三浦半島も見える。
坂道がきついと言ってもかなり整備されているし、
ちょっとひらけたところに出ると良い眺めなので、登っていてとても楽しかった。

神奈川県の山は海が見えていいなぁ。って5回くらい言って、
友達に「埼玉県人が申しております」ってからかわれるのを何回かやった。

1時間半程度で頂上に到着。すっごく寒かった…。
フリースを着直して、気持ち急いでご飯を食べる。その間にも手がかじかんでしまうくらい寒かった。
売店で買った豚汁、さっきまで沸騰してたんじゃないかと思うくらい熱々で、
でもそれがありがたかった。

下りはそこまで暑くならず、というか寒いくらいだった。
手袋を持ってきて本当によかった。
まだ紅葉がちらほら残っていて、最後の方はその風情も楽しめてよかった。

無事に阿夫利神社まで戻ってきて、神社がやってるカフェで休憩して、
ケーブルカーで下山。
伊勢原駅にバスで戻り、一つ隣の鶴巻温泉駅へ。
秦野市温浴施設「弘法の里湯」でお風呂に入って、
食事処で天ぷら定食を食べて、私は焼酎お湯割も一杯飲んで、
大変良い休日でした。

しかし日頃の運動不足が祟り、現在、笑っちゃうくらい筋肉痛が酷い。
ちょっとは筋トレしないとなぁ…。

なんでも慣れるとはいうけれど

放置していたブログを久しぶりに見返したら、コロナをすごく怖がっていて、自分が書いた文章なのに、ちょっと、うろたえてしまう。

 

私が新型コロナウィルスのワクチン1回目を接種したのは2021年の10月で、30代前半という年齢を鑑みても割と遅いほうだと思う。

 

2021年の8月頃はワクチンの予約を取りたくても取れなくて、

自衛隊の集団接種の予約(火曜日と木曜日にインターネットで申し込むやつ)にトライしてみるもモタモタしてたら予約枠がなくなってしまったり、

居住自治体のワクチン予約システムがよわよわで、残業しながら4時間くらい順番待ちしてやっとこさ押さえたのが10月の予約枠だった。

 

その頃Twitterに、なぜワクチンが打てないのだろう不公平ではないか、と書き込んでしまったところ、

何年も会ってない元友人から、早く打たなかった自分が悪いのに国のせいにしてこわい、とエアリプされて心底SNSが嫌になったこともあった。

 

それから1年後にまた4回目のワクチンを打ったわけだけれども、

その頃には想像できなかったな、

ワクチンなんて打たなくても良いかなっていう空気が世間に漂っているなんてさ。

 

職場でもたぶん1/3くらいの人はワクチンの追加接種はしてない。

ワクチンの予約もすんなりできたし、余裕で空きがあるし、

なんか1年でこうなるのかぁという感じ。

 

 

ワクチン自体の有効性や、副反応やら何やらと自分の健康状態や生活を天秤にかけて判断するのは個人で自由にどうぞとは思うんだけど、

なんか空気がガラッと変わっていることには驚く。

 

1日に亡くなる人の数は過去最高で、医療逼迫していると

Twitterでは流れてくるしラジオでも少し聞くけれど、テレビではあまり言っていないようだし、

むしろ久しぶりの行動制限のないお正月、というのが強調されて聞こえる。

 

自分ひとりじゃもうどうにもできない

新型コロナウィルス感染症の蔓延と恐ろしさが世の中で報道されるようになって1年半以上が経過した。

東京都で確認された新規感染者数が4000人を超えたのが7月31日。

その1週間くらい前、ちょうどオリンピックの開会式が始まったあたりから

周辺でも急に新型コロナの感染者が増え始めた。

 

それまでの間に何回か緊急事態宣言が出されていたけれど、

知り合いの知り合いくらいのレベルでも感染者は1人もいなかったのだけれど

それが急に何人も出てきたのだから、さすがにうろたえてしまう。

 

何人か感染者がいると、その後の経過や、保健所や医療機関とのやりとりも

かなり詳細に伝わってくる。

中には酸素吸入が必要になって入院した人も複数いるけれど、

それまでの間はギリギリまで自宅療養していて、

感染が発覚して酷くなる前に入院できたような人は誰一人いない。

中には、救急車を呼んでも受け入れ先がなく、家にそのまま残されてしまった人だっている。

その後、保健所が調整してくれて入院できたそうだが、

本来なら居住自治体の近辺で受け入れ病院を探すところ、どこも満床で、

かなり離れたところにある病院に入院した。

 

医療関係者の方がメディアに出ていまの医療逼迫の状況を話しているのを聞くと、

医療の現場がいかに大変で、

もう余裕も何もないし、病床はすぐに増やせないし、

現場ではそこは解決できないというのが伝わってくる。

 

身近に感染者がいる人といない人とで、感じ方に差があるんだろうけれど

知り合いづてに話を聞いていると、

メディアで聞く医療関係者の声はそのまんま現場の声だ。


現場でできる仕事と、もっと大きいところでしかできない仕事というのは現実的にある。
なのだけれど、大きいものを動かせる立場の人が、

きちんと仕事してるようにはどうも見えなくて、どんよりする。


(感染が広がって1年半経ったいまの状況でも、オリンピックやって感染者が増えるってわかってた状況でも、感染状況に対応できる医療体制が全然ないことや、まともな説明が全然ないことがあり得ないんじゃ〜1年間マジで何やってたんじゃ)

 

自分の身は自分で守りましょうとか、専門家の皆さんが言い始めるこの状況、

もう本当は出勤してる場合じゃないのかもしれないけど、

私が勤めている会社は、今だって出勤するのが基本スタイルで回ってるから、

組織の一員として出勤はせざるを得ない。

 

おかしいと思っても自分一人ではどうにかできないと痛感するたび、

回り回って、やっぱり自治体や国のトップがどういう人かというのは大事だし、

とりあえず民主主義の仕組みがあるのだから

それをみんなで行使していかねばならぬよなという気持ちになる。